ごあいさつ
こんにちは。
西小山カイロプラクティックりま、院長の河野真理子です。
ご縁あって2012年6月に西小山の地で整体院を開業しました。
皆様が健康になり、より充実した日々を過ごせる幸せな身体作りができるよう誠心誠意サポートさせていただきます。
どうぞよろしくお願いします。
院長紹介
出身: 神奈川県川崎市
好きなこと: 映画、ダンス
好きな食べ物: 牡蠣、ラーメン
好きな映画: ゴッドファーザーII、レザボア・ドッグス
開業までに道のり
根暗な子供時代と妹
私、弟、妹の三人兄弟の長女として生まれました。幼少期は中身は根暗な子供でしたが、周りの大人からは「真理ちゃんは面白いわね~。」とよく言われていたのでこの頃から二面性があったのかもしれません。
私の幼少時代は、「私が私と認識している私は本当に私なのか?」「そもそも私って誰?」「私と他人を区別しているものは何?」「私の本体って大気なんじゃないか?」などなどそういうことばかりを考えてました。自分の内面、周りの子供たち、大人たちをひたすら観察していました。
この時期は常に本や漫画を読んでいて、今振り返ると本が好きだったのもありますが、ひたすら現実から目を背けて物語の世界に逃避していた側面もあったと思います。
幼少時代の写真を今見るとやはり目が暗い子供でしたね(笑)
人生が変わったのは私が10歳になる年、妹が生まれました。「赤ちゃんってこんなに可愛いんだ!」と衝撃を受け世界が一気に明るくなりました。毎日学校が終わったら友達との約束は全て断りまっすぐ家に帰る日々でした。家に赤ちゃんが居る!と思うと帰路もうきうきでした。
現在、産後の骨盤矯正を受けに赤ちゃん連れでお母さん方が毎日いらっしゃり、「先生、赤ちゃんに慣れてますね~。」とよく驚かれるのですが、これはこの時の妹との日々があったおかげです。
今はもう妹も私もいい大人になりましたが、私のシスコンぶりはこの時からずっと変わらず、いつも妹にうざ絡みして塩対応されています(笑)
部活とマイケルと成績1番の10代
そして私が初めて熱中するものに出会ったのは中学校に入ってからでした。
まずは部活。昔から運動神経は人並み外れて悪かったのですが、運動部に入ることだけははっきり決めていました。運動神経が必要でない運動部と言うことで、新体操部と柔道部に絞り込み最終的には新体操部に入部しました。
ダンスやバレエなどの基礎は全く無い状態でのスタートでしたが、身体を鍛えることも踊ることも楽しく、又そこで今でも関係が続いている素晴らしい友人たちとの出会いもあり生活の中心が部活動になりましした。
そしてマイケル・ジャクソン。
部活大好きになった私は、新体操の映像はもちろんのこと、参考になるものならなんでも、ダンスやフィギュアスケート、ダンス系アーティストのPVなどを片端から見ていました。
そんな中で出会ったマイケルの映画。
最初は「この人化粧濃い!男なのに!」なんて思っていたのに、何度も見るうちにあっという間にはまってしまいました。
とにかく部活以外の空いた時間はずーっとマイケルの映像を何度も繰り返し見ていたので家族にはあきれらていました。
この頃は割と本気でマイケルと結婚しようと思っていました(笑)
そしてもう一つはまったのは学年で成績一番になること。
私の中学は試験の結果がわかりやすく順位で出て、その当時成績上位は地域の進学塾に通う生徒が占めていました。
塾や予備校に通ったことがない私は当時「勉強にお金はかけるものじゃない。」と言う変なこだわりがあり、その進学塾の生徒を出し抜いてぽっと出の私が一番になったら面白いのではと考えました。
ただ、当時の私は学校以外の時間は全て部活の為の研究とマイケルの動画リピと妹で一杯だったので、家での勉強は最小限に、楽して一番になるために授業中内でなるべく覚えるという手法にたどりつきました。
これはなかなか功を奏して毎回ではないですがそこそこの割合で一番を取ることに成功しました。
しかし本来なら勉学に頑張らなければならない10代の内に、勉強を最小限に楽をして良い成績を取る癖をつけてしまった為に後々苦労することになります。
その後高校に進学しましたが、そこには新体操部が無かったため、ダンス部入部→やる気のない部員に逆切れして退部→帰宅部、となります。高校に入っても勉強を最小限で成績一番を取るゲームは続いていたものの、生活の中心であった部活動がなくなり、全体的に腑抜けになります。
そこで又幼少期にはまっていた「私と世界とは。」の穴に落ち始めました。
しかし今回は幼少期とは違い、本なども読み多少の経験と知識を身に着けていたので、自分で何とかする術を思考錯誤し始めます。
中学生の頃に購入した怪しい通信販売でたまたま瞑想に出会い、何となく精神世界を探求することで答えが得られるのではないかとの直感があったので、どんどん瞑想や気功などに傾倒していきます。
この頃からの将来の夢は「仙人になること」でしたが周りから本気にされていませんでした(笑)
アメリカと仕事と鍛えた20代
マイケルにはまった辺りから将来はアメリカの大学に入学したいと思っていました。
が、私は欲張りで、日本の大学の授業も両方経験したかったので、まず日本では短大を卒業し、短大卒業後はアメリカのペンシルバニア州の大学へと編入しました。
ここでも欲張りな私は経済と経営学のダブル専攻にしました。
知り合いも居ない土地に単身で飛び込み、いきなりアメリカ人の同級生と肩を並べて大学の授業を受けることになってしまいました。
実は海外からの留学生は通常1年位現地の語学学校に通って英語力を上げた後で大学に入学するのが普通なのだと後から知りました。
が、その頃はインターネットもそこまで普及していなかったのでそんな情報も無く知らなかったのです。
ここで10代の頃真面目に勉強をしてこなかったつけを払うことになります。
中学高校でやっていた丸暗記で満点を取るようようなチート技は通用しません。
そしてこの時期が人生で一番勉強をした時期でした。ありがたいことに親の援助で留学していたので、良い成績を納めることが最低限の礼儀だと思い、生まれて初めてちゃんと必死に勉強しました。
英語力が低いままでアメリカ人と同様に講義の課題をこなさなきゃいけないので、全ての講義を録音して寮に帰ってそれを最初から聞き直してノートを作成し、更に課題をこなすと言う作業を毎日夜中までやりました。
無謀にもこの時も首席で卒業することをちらっと目標にしていましたが、さすがにそれは叶いませんでした(笑)首席はとれなかったものの、入学してから卒業までの毎学期欠かさず学部内の成績優秀者に選ばれることだけはなんとか達成しました。
今振り返っても英語力が低いままよく卒業できたと思いますが、一重に日本時代から数学と論文が得意だったことがアメリカでも力になりました。
そしてこの留学生活で一気に太ります。
渡米して4ヶ月で52キロ→60キロに!!
これはアメリカの食事でと言うよりも、完全に勉強中のお菓子太りです。
ここで生まれて初めてのダイエットに挑みます。
筋トレ&有酸素運動で1年半くらいで60キロ→45キロまで落としました。調子に乗って落とし過ぎたので後から又ちょっと増やしました。
中学時代に部活動で鍛えていたことを思い出し、身体を鍛えることの楽しさと意義をここで再認識します。
大学卒業後はNYに移り住み、そこで運よく日系銀行に就職することが出来ました。
NYは大都市なこともあり、各界の有名講師のセミナーを安価で受けることが出来ます。チャクラ、瞑想、有名スピリチュアル作家、アレキサンダーテクニーク、キネシオロジー、などのスピリチュアル系からボディーワーク系まで様々なセミナーを受けました。
と同時に太極拳を習おうとしたのがなぜか中国カンフーのクラスにも通い、瞑想・気功も相変わらず続け、だんだんと精神と身体は繋がっているのだと言うことを実体験として深く理解するようになりました。
日系銀行での仕事は楽しかった半面、アメリカ生活もやや飽きてきたので一旦日本に帰国することを決意しました。
自営業の父を持つ私は、昔からぼんやりと「私もいつか自分のビジネスを持つ。」と考えていました。
せっかくなら父の仕事を継いだ方が良いのではないかとも思い、日本帰国後は父親の会社に就職しました。
しかし何年か働いて、父の仕事は面白いと思う反面、もっと自分がやりたい仕事を追求したいとの思いも出てきました。もともと父は私が仕事を継ぐのは反対していました。
修行と開業の30代
そこで自分の興味を掘り下げていった時、ずっと健康オタクで精神と身体を鍛えることが趣味だった私が、それをいっそ職業にしてみたらどうかと思いついたのです。
その後、運命的に本物の治せる技術を教えてくれるJN整体スクールに出会い、カイロプラクティックがただ身体を矯正するだけでなく、神経系を整えることによって心にまで作用する技術であることから、それまでの自分が探求してきたものとの共通点を感じました。
今までの人生の中の点と点が繋がった瞬間でした。
その後は仕事を続けながらその合間にスクールに通い、スクール併設の治療院で長期間の臨床をしました。
スクールで素晴らしい技術を教えてもらっても、それを実際の患者さんに施術するとなるとセオリー通りにいかない事も多々あり、本当に苦しいながらも治っていく患者さんを見るのが楽しい、そんな臨床生活でした。
この臨床時代は食べても食べても体重が増えず、睡眠不足で人相も変わっていましたがとても充実した日々でした。
その後厳しくも愛情深い師匠から開業しても良いとのお墨付きをようやく貰い、2012年西小山に開業することが出来ました。
西小山で開業して
私は川崎在住なので「なぜ、西小山に?」とよく聞かれるのですが、武蔵小山周辺は子供の頃に何度か来ており、「下町っぽい良い街だな~。」となんとなく思っていました。
その後西小山のダンス教室に通った縁で「お隣の西小山も良いな~。」とこのエリアに良い印象を持っていました。開業しようと思った時に第一候補として思い浮かんだのが西小山だったんです。
川崎からもドアツードアで30分で行けますし、運よく素晴らしい物件との出会いもあり西小山の土地に店を構えることができました。
今の私があるのは様々な人達の支えがあったおかげです。
家族にもかなり心配をかけたと思います。
父親からは「留学までさせたのに整体か。」と言われました(確かに!)。
でも今振り返るとアメリカ時代に学んだことも全てが今に繋がっているのだと確信しています。
スクールの師匠や講師の先生方、ありがたいアドバイスをくださる整体の先輩方、情報交換や叱咤激励しあえる整体仲間達の存在は今の私には無くてはならないものです。本当にありがとうございます!
そして何より西小山カイロプラクティックりまを開業して出会ったすべての患者さんたち、感謝をしてもしつくしきれません。
「西小山で開業してくれてありがとう。」「先生に救われました。」などの素敵な言葉を患者さんからいただく度に、好きなこと毎日しながら、人から喜んでもらえる、こんな幸せなことはないと胸がいっぱいになります。
私個人の力はほんのわずかです。
世界中の人々に整体をすることは出来ません。
ですが、縁あって当院に来てくれた患者さん、その一つ一つのご縁を大切にしていきたいと思っています。
もっともっと人のお役に立てる治療家になれないかと、自問し精進する日々です。
治療家である以上、一生上を目指し勉強し続けることでしょう。
どんどん進化していく西小山カイロプラクティックりまをこれからもどうぞよろしくお願いいたします!