当院について

当院について

院長紹介

河野真理子 かわのまりこ
出身: 神奈川県川崎市
好きなこと: 太極拳、ダンス♪、映画、寝ること
好きな食べ物: 牡蠣、ラーメン、大福、チーズケーキ
好きな映画: ゴッドファーザーII、レザボア・ドッグス、ショーシャンクの空に
頑張りたいこと: 料理(永遠のテーマです)

開業までの道のり

私が西小山で開業するまでの道のりはそれはそれは長かったのです。
是非お付き合いいただけたら幸いです。

暗黒の子供時代

こんなことを書くと引かれてしまうかもしれませんが、幼少期はひたすら暗い子供でした。今までの人生で一番暗かった時期だと思います。
「子供の頃は何も考えず生きてて幸せだったな~。」なんて言う人がいると未だにびっくりしてしまいます。
私の幼少時代は、「生きるってなんだろう」とか「人間の内面の醜さ」とかそういうことばかりを考え、自分の内面や、周りの子供たち、大人たちをひたすら観察していました。

背が小さくて泣き虫、の癖に「頑固で自分の意見は絶対に曲げない(と小1の通信簿に書かれました)」ので一部の女子からはいじめられていました。
自由も力も無く、制約と「しなければならない」だらけ。
子供からも大人からも「変わっている。」といつも言われ、自分ではどこがおかしいのか分からないのでただ傷つくばかりの日々でした。
常に本を読んでいたので、周りの大人たちからは「まりちゃんは頭が良いのね~。」などと言われていましたが、今振り返ると本が好きだったと言うよりも、ひたすら現実から目を背けて物語の世界に逃避していただけだったのだと思います。
幼少時代の写真を今見るとやはり目が暗い子供でしたね~。

部活とマイケルと1番の10代

人生に生きる意味を見いだせずに時間を潰すように生きてきた私が、初めて熱中するものに出会ったのは中学校に入ってからでした。

まずは部活。昔から運動神経は人並み外れて悪かった私ですが、「運動部に入る。」とだけははっきり決めていました。運動神経が必要でない運動部と言うことで、新体操部と柔道部に絞り込み最終的には新体操部に入部しました。ダンスやバレエなどの基礎は全く無い状態でのスタートでしたが、身体を鍛えることも踊ることも楽しく、又そこで今でも関係が続いている素晴らしい友人たちとの出会いもあり生活の中心が新体操部になりましした。
そしてマイケル。マイケル・ジャクソンです。部活大好きになった私は、新体操の映像はもちろんのこと、参考になるものならなんでも、ダンスやフィギュアスケート、ダンス系アーティストのPVなどを片端から見ていました。そんな中で出会ったマイケルの映画。最初は「踊りは凄いけどけったいな顔した人だな~。」なんて思っていたのに、何度も見るうちにあっという間にはまってしまいました。とにかく部活以外の空いた時間はずーっとマイケルの映像を何度も繰り返し見ていました。割と本気でマイケルと結婚しようと思っていました。

そして一番とは、学年で成績一番になること。中学に入ると試験の結果がわかりやすく順位で出ます。川崎と言う様々な経済状況の家庭の子供が混在している地域で育った私は、塾に行ける経済的余裕のある子供しか良い成績を取れないと言う世の不平等さに常々疑問を持っていました。そこで塾に通わない私がその地域の進学塾生を出し抜いて一番になったら面白いのではないかと考えたのです。しかし前述の通り私の生活の中心は部活とマイケルだったので、家で勉強する時間はありません。そこでいかに家で勉強をしないで学年で一番を取るかと考えた結果、授業中内に記憶すると言う手法にたどり着きました。多少の熱が出たくらいでは学校は休まず、クラスの大半が寝る授業でもしっかりと起きてノートを取り、友達のサボりの誘いにも乗らず、毎回ではないですがそこそこの割合で一番を取ることに成功しました。しかし本来なら頑張らなければならない10代の内に楽をして良い成績を取る癖をつけてしまった為に後々苦労することになります・・・。

その後高校に進学しましたが、そこには新体操部が無かったため、ダンス部入部→やる気のない部員に逆切れして退部→帰宅部、となります。高校に入っても「勉強をしないで一番ゲーム」は続いていたものの、生活の中心であった部活動がなくなり、全体的に腑抜けになります。

そこで又幼少期に陥っていた「生きるってなんだろう。」の穴に落ち始めました。しかし今回は幼少期とは違い、本なども読み多少の経験と知識を身に着けていたので、自分で何とかする術を思考錯誤し始めます。15歳の頃瞑想に出会い、何となく精神世界を探求することで答えが得られるのではないかとの直感があったので、どんどん瞑想や気功などに傾倒していきます。この頃からの将来の夢は「仙人になること」でした。

その後短大に進学しますが、全体的な腑抜け状態は続きました。短大では成績の順位が出なくなるので、一番ゲームも出来なくなり、勉強も適当になりました。この頃の私はとにかく怠惰に目標も無く生きていて、それを自分でも自覚していました。

アメリカと仕事と鍛えた20代

短大卒業後はアメリカのペンシルバニア州の大学へと編入しました。欲張りな私は経済と経営学のダブル専攻にしました。知り合いも居ない土地に単身で飛び込み、いきなりアメリカ人の同級生と肩を並べて大学の授業を受けることになってしまいました。実は海外からの留学生は通常1年位現地の語学学校に通って英語力を上げた後で大学に入学するのが普通なのだと後から知りましたが、その頃はインターネットもそこまで普及していなかったのでそんな情報も無く知らなかったのです。

ここで10代の頃真面目に勉強をしてこなかったつけを払うことになります。中学高校でやっていた丸暗記で100点を取るようようなチート技は通用しません。そしてこの時期が人生で一番勉強をした時期でした。ありがたいことに親の援助で留学していたので、良い成績を納めることが親への最低限の礼儀だと思い、とにかく必死に勉強しました。英語力も低いままでアメリカ人と同様に講義の課題をこなさなきゃいけないので、全ての講義を録音して、家に帰ってそれを最初から聞き直してノートを作成し、更に課題をこなすと言う作業を毎日夜中までやりました。無謀にもこの時も首席で卒業することを目標にしていましたが、さすがにそれは叶いませんでした。首席はとれなかったものの、入学してから卒業までの毎学期欠かさず成績優秀者に選ばれることだけはなんとかできました。

そしてこの留学生活で一気に太ります。なんと渡米して4ヶ月で52キロ→60キロに!!これはアメリカの食事でと言うよりも、完全に勉強中のお菓子太りです。ここで生まれて初めてのダイエットに挑みます。筋トレ&有酸素運動で1年半くらいで60キロ→45キロまで落としました。落とし過ぎたので後から又ちょっと増やしましたが。中学時代に部活動で鍛えていたことを思い出し、身体を鍛えることの楽しさと重要性をここで再認識します。

大学卒業後はNYに移り住み、そこで運よく日系銀行に就職することが出来ました。NYは大都市なこともあり、各界の有名講師のセミナーを安価で受けることが出来ます。チャクラ、瞑想、某有名スピリチュアル作家、アレキサンダーテクニーク、キネシオロジー、などのスピリチュアル系からボディーワーク系まで様々なセミナーを受けました。と同時に中国カンフーのクラスにも通い、瞑想・気功も相変わらず続け、だんだんと精神と身体は繋がっているのだと言うこと実体験として深く理解するようになりました。

日系銀行での仕事は楽しかった半面、自分の将来をふと早送りで想像したときに、「このままずっとアメリカで働き続け、アメリカ人と結婚したりして、そのままアメリカに永住するのかな。」と言う将来がなんとなくつまらない気がして、一旦日本に帰国することを決意しました。

自営業の父を持つ私は、昔からぼんやりと「私もいつか自分のビジネスを持つ。」と考えていました。しかしせっかくなら父の仕事を継いだ方が良いのではないかとも思い、日本帰国後は父親の会社に就職しました。しかし何年か働いて、父の仕事は面白いと思う反面、もっと自分がやりたい仕事を追求したいとの思いも出てきました。もともと父は私が仕事を継ぐのは反対していました。

修行と開業の30代

そこで自分の興味を掘り下げていった時、ずっと健康オタクで精神と身体を鍛えることが趣味だった私が、それをいっそ職業にしてみたらどうかと思いついたのです。

その後、運命的に本物の治せる技術を教えてくれるJN整体に出会い、カイロプラクティックがただ身体を矯正するだけでなく、神経系を整えることによって心にまで作用する技術であることから、それまでの自分が探求してきたものとの共通点を感じました。今までの人生の中の点と点が繋がった瞬間でした。

その後は仕事を続けながらその合間にスクールに通い、スクール併設の治療院で長期間の臨床をしました。
スクールで素晴らしい技術を教えてもらっても、それを実際の患者さんに施術するとなるとセオリー通りにいかない事も多々あり、本当に苦しいながらも治っていく患者さんを見るのが楽しい、そんな臨床生活でした。
この臨床時代は食べても食べても体重が増えず、睡眠不足で人相も変わっていましたがとても充実した日々でした。
その後厳しくも愛情深い師匠から開業しても良いとのお墨付きをようやく貰い、2012年西小山に開業することが出来ました。

西小山で開業して

私は川崎在住なので「なぜ、西小山に?」とよく聞かれるのですが、武蔵小山周辺は子供の頃に何度か来ており、「下町っぽい良い街だな~。」となんとなく思っていました。その後西小山のダンス教室に通い、「お隣の西小山も良いな~。」とこのエリアに良い印象を持っていました。開業しようと思った時に第一候補として思い浮かんだのが西小山だったんです。
川崎からもドアツードアで30分で行けますし、運よく素晴らしい物件との出会いもあり西小山の土地に店を構えることができました。
今の私があるのは様々な人達の支えがあったおかげです。

家族にもかなり心配をかけたと思います。父親からは「留学までさせたのに、整体か。」と言われました(確かに!)。でも今振り返るとアメリカ時代に学んだことも全てが今に繋がっているのだと確信しています。
スクールの師匠や講師の先生方、ありがたいアドバイスをくださる整体の先輩方、情報交換や叱咤激励しあえる整体仲間達の存在は今の私には無くてはならないものです。本当にありがとうございます!

そして何より西小山カイロプラクティックりまを開業して出会ったすべての患者さんたち、感謝をしてもしつくしきれません。「西小山で開業してくれてありがとう。」「先生に救われました。」などの素敵な言葉を患者さんからいただく度に好きなこと毎日しながら、人から喜んでもらえる、こんな幸せなことはないと胸がいっぱいになります。

私個人の力はほんのわずかです。世界中の人々に整体をすることは出来ません。ですが、縁あって当院に来てくれた患者さん、その一つ一つのご縁を大切にしていきたいと思っています。
もっともっと人のお役に立てる治療家になれないかと、自問し精進する日々です。
治療家である以上、一生上を目指し勉強し続けることでしょう。

どんどん進化していく西小山カイロプラクティックりまをこれからもどうぞよろしくお願いいたします!

院内風景

外観

西小山カイロプラクティックりま正面
西小山駅から徒歩2分。中華料理喜楽さんとケーキ屋さんの隣です。
ピンクの看板が目印です。

院内

待合スペース
こちらでカルテの記入をしていただきます。
温かいお茶を用意しておりますのでご自由にお召し上がりください。

待合室の奥が施術スペースとなっております。リラックスしていただけるよう照明は落としています。

施術スペース
ゆったりとした空間でリラックスして施術をお受けください。
基本的に患者様が重なることはありませんが、緊急の時などはベッドの間に仕切りを置いて対応いたします。
緑の多い院内は常に清潔を心がけております。